At Dusk
昼から夜への移り変わりの時間である「Dusk」(夕暮れ、黄昏、薄暮)が象徴するのは、意識と無意識、光と闇、または生と死の境界。夜が近づくにつれ、物は見えなくなるが、通常は見えないものが出現してくる。さらに、古い日本の文化では、夕暮れは逢魔時(おうまがどき)とも言われ、魔物に出会うかもしれない時刻とも考えられていた。
これらのイメージはどこか現実と幻想の間に存在し、これらのしばしば陰鬱なイメージは、私の子供の頃の記憶の断片、遠い昔の恐れ、漠然と思い出される悪夢に触発されている。これらは、ノスタルジア、不安、またはなにか定義できない感情を心のなかに引き起こす。この高度に近代化され、組織化された社会に住んでいると、暗く古いものがたりがまだ生きていた東北の田舎で過ごした子供時代に触れたいという衝動を感じる。これらのイメージは、母、祖母、曽祖母(なぜか常に女性の家族だった)が語ってくれた、幽霊や不思議な生き物のものがたりに間接的に関わっており、これらは美しさと恐怖の両方が繊細に織り交ぜられている。日本人小説家の村上春樹が、乾いた井戸、観覧車、忘れられたホテルの客室の姿を装った、暗いパラレルワールドへの入り口についてよく書いているように、これらのイメージは見るものに心の薄暗い面ののぞき穴となる。
これらのどこか謎めいた写真のほとんどは日没直後に自宅の近所で撮影されたもので、どこか私のふるさとや子供の頃の見慣れた光景を反映している。そのあいまいさは、リアルな細部のないイメージを作り出し、時間と距離を超えたイメージを切り取るための鍵になる。これらは、過去への親密な目線を視覚化するという、内なる欲求を示唆している。昔に残してしまった何か大切なものをイメージとして取り戻すことが可能かもしれない。街の周辺の写真の中には、ありふれた家畜がよく写っており、夜の近所の散策で無意識に撮影されている。これらのイメージは、時間と空間を超えた詩的な形でファンダメンタルな何かを示し、ある種の心理的な快適さを与えてくれる。